毎日私たちが何の不自由もなく食事が出来る当たり前の幸せについて。
コトの発端と言えば、協力隊員時代バンコクの街角での出来事でした。
今までの人生の中で一番ショックだったことは、青年海外協力隊員としてバンコクにいた当時、 街角でホームレスの老女(おばあさん)の餓死を目の当たりにしたことでした。 人の情に厚いタイのあの飽食の町バンコクの繁華街のバス停の傍らで一人の老女が倒れているのを 連れとおぼしきもう一人の老女が叫びながら倒れたおばあさんの身体を泣きながら もう一度起きあがるのを信じて止まない様子で揺り起こそうといたのを見たことでした。バスを待つ人の群は、何事もないようにだれ一人として彼女らに関心を示す者は、いませんでした。 その時私もバス停でバスを待つ人々と同じで何もしなかった。一瞬何が起こったのかさえも分からないほど、スクムビット通りの喧噪も聞こえないほど頭の中が混乱していました。 聞こえるのは、泣き叫びながら連れを揺り起こそうとしていた老女の声だけでした。 訳も分からず全身鳥肌が立っていたことだけは今も覚えていますが、それ以外のことは何も覚えていません。 もし、報道カメラマンだったらこんな時でも迷わずシャッターが切れるんでしょうが、 なんぼ写真好きの私でも、この時カメラを持っていてもおそらくよーシャッターを押せなかったと思います。 (ある意味ピューリッツアー賞モンの一枚だったかも) この時思ったことは、アフリカやバングラディッシュだけと違って |
飢餓ってこんな身近にがあるんや。という事実でした。それまで、少なくとも私の周りでは誰もが 何も考えずに腹一杯食べられるコトが当たり前と思っていたのが、そうやないんや という事実でした。なんの不自由もなく毎日自分たちが食べているモノについてちょっとは真剣に考えないといかんな。 とこの時生まれて初めて思ったのでした。
私たち農業を営むものは、当然ですが自然の恩恵で生計を立てております。暑さ寒さ雨や風に一喜一憂して生活しております。しかし、自然の中で暮らしているのは何も私達農業者だけではなく地球上の全ての人が暮らしているわけですが・・・・・
2000年5月頃のニュースで、世界の飢餓の人口と肥満の人口がそれぞれ約17−18億人と等しくなった。という報道がありました。すると世界の人口約60億人として飢餓と肥満が3割づつ、言い換えれば正常な栄養状態の人が4割しかいない。っていうコトになるわけです。つまり、世界規模で極端な栄養の偏りがおこっているというこなのではないでしょうか?よく言われていることですが、現在日本の食糧の自給率は、カロリーベースで40%そこそこ、穀物の自給率は30%程度。おまけに世界の人口は増加傾向に歯止めがかからない状態。 21世紀を前にして99年に60億人を超え、2010年には、69億人、2025年には80億人、さらに2050年には、94億人になると予測されており、この人口増加の大部分は発展途上国です。 協力隊の派遣前訓練中の講義で聞いた話ですが世界の人口の75%は発展途上国に居住していると聞いたときはホンマかいな?と思ったものでした。
ここ35年間の世界の人口は、1.9倍と増えましたが、穀物の生産量も2.4倍と伸びて対応してきました。ただ、総収穫面積は横這いで人口増の結果一人当たりの面積は60%弱と減少したモノの、これは反(単)収の伸びでカバーしてきました。 (当たり前のハナシですが、人間どんなにエラくなろうと地球の面積が増えるコトは、絶対ないですから)
ここで、皆さんにちょっとだけ考えて欲しいのです。
カロリーで40%っちゅうことは、自給カロリーの1.5倍、
穀物で30%なら国産量の2倍を輸入している。っちゅうことです。
日本の食糧を全部国産品で賄うことは、耕地面積の広さから言ってとてもじゃありませんが無理な話ですが、それでも昭和40年の食糧自給率はカロリーベースで73%(穀物で62%)と高い水準にあったモノが、62年にはカロリーで50% (穀物30%)を切り現在ではカロリー40%(穀物27%)まで落ち込んでしまいました。 ここまで自給率が低下した第一の理由は。米の消費量の減少です。(昭和35年に一人当たり115kgだったのが現在65kgと半減) さらにしく生活の多様化によってパン、麺類、畜産物、油脂類の消費の拡大による麦、大豆、資料用穀物類の輸入増加、(これはこれで別に悪いこととは、思いませんが)近年では野菜や魚介類の輸入も増加し自給率の低下に拍車をかけています。
現場のホンネ 其之四 どーせならそこまで考えなさい。
に日本の食料自給率の推移の表もあります。そちらも見ておいて下さい。
こんな国は、先進国で世界中見渡しても日本だけだ!
ってどこかの誰かさんが言ってますがあれは大ウソ
モナコとバチカンは、自給率なんて全くないぞ、農地がないんやで。
注)モナコやバチカンを先進国とみるかどうかの問題。んでも絶対に発展途上国やないやろに。
こんな数字の冗談は、さておいて現実問題として、
いつまでも外国から食糧が買える保証はどこにもない。ってことです。現在輸出国で外貨を稼ぐのに食糧を輸出している国でも自国の人口が増えて国内需要で手一杯、輸入に回す分がなくなれば国際市場に流通する量が減る分は輸入は困難になるでしょう。その良い例がインドネシアで、今まで余り多くはありませんが米を輸出していたのがいきなり輸入したのは記憶に新しいところです。加えて、日本の経済状態が現状維持または上昇なら話は別ですが残念ながらこんな状態ですから平成5年の不作の年みたいにカネにモノ言わして札ビラ切って買って来れるとは考えにくいんじゃないんですか?
そこで、やっぱ私が思うのは、将来何があってもみんなが腹一杯食べられるように
自給率の向上を何とかせねばあかんのじゃないかと思うワケです。
ちょっと、簡単な計算をしてみますと、穀物の自給率が30%で国産量の2倍以上を輸入しているわけで、自給量が約1000万トンちょっととすると輸入量は2000数百万トン。計算しやすいように年間2400万トン1ヶ月200万トンとしてみます。仮に輸入量が20%減ったとして月40万トンの減少です。このペースで在庫を食いつぶして行くと現在余っていると言われている米が400万トンあったとしても、たった10ヶ月で食いつぶしてしまします。一年くらいなら何とか食いつないで行けるかも知れませんが、これがずっと続くとすると、
消費者のみなさん、さぁ、どうします?
閑話休題少しだけムダ話その壱
オヤジの独り言 息子の独り言 |
農地は、国土や環境を守っています。自然環境を守っているのは農業や林業です。と言うじゃなーい。確かにそうかも知れません。しかし何も私たち稲作農家を始め、農業や林業に従事している者は、国土や環境の保全とか、景観の保持なんてかっこのええコトでやっとるワケやありません。専業のあんたらが、そんなコト言ってたら日本の農地や環境は誰が守るの?っておっしゃる普及員の方もおりますが、そんなコトは知りません。他人(よそ)サマの農地が荒れようとどうなろうと知ったこっちゃないわな。あくまでも生活の手段の一つとしての職業選択でして、当然今後農産物の価格の下落が続いて採算が合わなくなれば当然廃業、となるわけです。「国土の保全とか言っておだてられてもメシは食えませんから。残念〜」こういうコトが積もり積もって自給率の低下に拍車がかかるワケで、こうなって一番困るのは、消費者の皆さんです。農家としては、業(なりわい)としてやっていけなくなるかも知れませんが自分の食い扶持くらいは、何とかできますから。
「んならどうするの?」
と、言われても我々生産者だけでは、どうするコトも出来ないのが現状です。かと言って行政政策で何とかしてもらいましょ?ってコトは、もっとアテにならんし。ですから、生産者も行政も議員のセンセイ方も消費者の皆さんもちょっとだけみんなで考えて欲しいんです。毎日私たちが何の不自由もなく食事が出来る当たり前の幸せを。この当たり前をこの先ずっと続けていけることを願って私たちは、米作りを行っています。
私の夢
飢餓の根絶
何をエラそうに・・と言われそうですが、平たく言えば
毎日誰もが何も考えずにハラ一杯食べられる事が当たり前の世の中。
そう、今の私たち日本人みたいな。えー国やな日本。