其之壱 電球小僧誕生
 そもそも電装品いじくり回しにハマったきっかけは、今から遡ること25年ほど前、原付バイクで走り回っていた高校生の頃に見たとあるバイク雑誌に載っていたおフランス製有名かつ高性能ランプメーカー CIBIEの広告でした。CIBIEのライトを2連装した耐久レース(*)を走るマシンの写真とそこに書かれていたその後の私の人生を変えたとでも言うべき当時のキャッチコピーは、大胆不敵にも 昼間と同じ感覚で走れます。でした。当時原付6V仕様または、4輪シールドビームしか知らない私は「なんぼ、ヘッドライトが明るくったって昼間とおんなじ感覚で走れてたまるか。」4輪の免許をとったら絶対それに付けて、「誇大広告だったらJAROにでも訴えてやるぅ」と心に誓ったモノでした。
  
ノーガキこらむ その1  注*興味のない人は読み飛ばしてね
 今ではすっかり夏の風物詩として定着した8耐 当時の正式名称 「世界耐久オートバイレース(World Endurance Chanpionship だったと思う)選手権第?戦 (何戦目だったかは不明)suzuka8時間耐久オートバイレース」 が初めて鈴鹿にやってきた当時で、2輪4輪含めて鈴鹿で毎年開催される世界選手権格式でのレースはこれが初めてだったハズ。(当時、格式が 「国際」 のレースは、4輪の最終戦 通称 F2日本グランプリ等々数戦ありましたが、国際選手権レースはなかった) 走っていたマシンも今と同じでTT−F1 4サイクル1000ccまで、2サイクル500ccまで(今までレギュレーションの変更が何度となく行われています) 出走マシンも市販車改造の為ベース車両の性能やメカニズムが今ほど洗練されたものではなく 75−6年当時 CB750 Four (むっかし 少年チャンピオンの「750ナナハンライダーの早川光」が乗っていたマシン、最近では少年マガジンの 「特攻(ぶっこみ)の拓で音速の四天王の須王」の乗っていたマシン)をベースにした鉄っちんフレームOHC2バルブ736cc67ps  レオン、シュマラン組のHONDA RCB  934 (CBRではありません)が、無敵を誇っていました。(ハズ)   ライトといえばまだシールドビーム全盛で沃素(ヨーソ=ハロゲン)球なんて別世界のものでした。 現在で言えばHIDライト位の存在でしょう
 
 晴れて4輪の免許も取れて高校卒業後、ポンコツでしたが近所に朽ち果てかけていたハコスカを譲り受け、何はともあれなけなしのお金であこがれのCIBIEの丸形4灯ヘッドライトをGET。当時一灯5ー6000円位じゃなかかしらん。今では絶滅危惧種の規格モン前照灯、取り替えるのも取り付けリムを外してランプユニットを交換するだけなのでドライバー一本で全てが出来る。今では当たり前の市販ハーネスキットなんて気の利いた物は、当時まだこの世に存在すらしていない。バルブもいっちゃんスタンダードなPhillips55/60W。国産純正シールドビームと比べるとなんと綺麗なレンズカット、ほんま謳い文句のクリスタルガラスだわ。さて待望の夜がやってきましてどんなモノかとシェイクダウン。もともと田舎のこのあたり77年当時は、今ほど街灯はなくライトの性能テストには、もってこい。ファーストインプレッションは、「あっかるーハイビームにすると 「どっひゃー!!梢の葉っぱまで見える」 で、結果謳いモンク通り 昼間と同じ感覚で走れましたぁ。
 この当時のCIBIEは、Zビームになる前のタイプでZビーム以降とは若干配光特性が違う。ロービーム字に今ほどくっきり光軸が切れない。対向車を幻惑するほど右上は明るくないので今の配光特性より走りやすかった。また、当時4灯式ハイビーム側のバルブにもH4球を使用していたと記憶しております。後にH1球に変更されたのですが、どうせ遠目(Hiビーム)時にしか点灯しないのでシングルフィラメントで充分なハズ。4灯式の車両側コネクターの形状がlow、Hiともに現在の2灯式H4球と同じ3Pカプラ。Hi側は両端の縦になった2極を使用。今考えると3本足のH4の方が3Pカプラに取り付け易いためかな?とも思われます。
 物置の片隅から出てきた 20数年前のCIBIEの丸形4灯ヘッドランプの箱。蛍光の赤ラベルにH4と大きく入っているのでLOWビームのユニットと思われる。で、どうやらジャンクパーツをゴチャゴチと放り込んでいたみたいでスイッチやらコネクターが入っていた。それにしても20年以上前のモノが出て来るとはなんともモノ持ちのいいこと。

つづく To Be Continue