青年海外協力隊

2、届いた合格通知 候補生誕生

 数日後、事務局から届いた一通の封筒。当然合格を知らせるものでした。100%「ケニヤへ行ける」と信じて疑わなかった私の目に入った「派遣国 タイ」の文字。思わず目が点状態。「タイぃー」どういう理由で私がタイに?と事務局に問い合わせる様なバカなマネはしませんでしたが、正直言って「何でやろ?」がこのときの本音でした。
 アトで聞いた話ですが、派遣国の決定は、今までの職歴と経験、それと一次試験の(外国語)英語の成績でだいたい決まるそうです。英語(語学)の成績のいい人は、現地語より文法的に難しい英語、フランス語、スペイン語のようなメジャー言語の国へ派遣される可能性が高いそうです。言われてみれば納得。事務局等は頑なに否定していますがワタシ的派遣国決定の法則(?)理由は、「顔」そう「カオ」ですっ。「顔で決めるっ。」同じ純日本人でも、「アジア顔」「アフリカ顔」「ラテン顔」「アラブ顔」ってありません?任国に行って違和感なく馴染めるためには、「まず見かけ」だろうとワタシは勝手に考えております。わたしゃどっから見てもアジア顔だわ。これがタイ行きの最大の理由だったのかも。訓練中に、こんなバカな話してたらある一人が「80%は当たっとるな」と妙に納得。(するなよ)
 合格通知には、「受かりましたが、ホンマに行きますか?」と言うような意志決定の返事を返信するようになっていたと思いました。(今となっては、はっきり覚えてないけど)
合格通知を受け取ってから、訓練終了まで協力隊「候補生」となります。
 辞退も出来るのですが、せっかく手にしたこのチャンス「受かっただけでもめっけモン。まっ、いいっかー。どこへでも行ってやろ」と軽い気持ちで「行かせて頂きます」と返答。楽天家でプラス思考のノーテンキ野郎の私ですので「ケニヤへ行けなくてもタイならコメの本場だし、寒くないしこれもアリかも。」ってことで。で、タイの募集要項にある任地はってーと、
1、バンコクモンクット王工科大学 農業機械学科で教官  =都市教室型
2、ランパンの農業、協同組合省の農業機械センターで機械の整備メンテの指導 =地方現場型
 田舎モンの私としましては、世知辛い都会よりのんびり田舎の現場型の方が性に合ってると思いつつどっちに行くのか分からないまま月日は経っていきました。
 お気楽な私ですのでこの時点で協力隊の試験を受けて合格したことを職場には言っていませんでした。辞職願いを出したのがやめる1ヶ月くらい前。どうせ自営で遅かれ早かれ辞めるつもりでしたから職場とのトラブルはありませんでしたが、現職参加で休職扱いで行く方も、退職参加の人も職場とのトラブルを避けるために早めに報告しましょう。
 協力隊を始め現在国際協力事業団(JICA)が募集するボランティア参加には、別に退職しなくても休職で現職参加という方法もあります。かなり前からある制度らしく、電電公社の時代からNTT(職種 電話工事等)や旧国鉄時代からJRグループが(職種鉄道など)多くの企業がこの制度を利用、適応しているようです。教員の人はほとんど当たり前に現職参加ですし、最近では、教員以外の県、市町村職員が現職で参加しています。同様に学生の方の休学も認められますので御安心を。職場を辞めたい方は心おきなく退職でご参加下さい。

訓練開始

 派遣される前には語学の修得を始め様々なカリキュラムの訓練が約3ヶ月弱(11週間)あります。私の場合昭和63年度3次隊でしたので、派遣が3月下旬から4月上旬ですので訓練開始のために東京集合が年頭の1月5日。まだ松も明けない1月3日に家を出発たわけでした。東京で2,3日オリエンテーションをして私たちは訓練所のある駒ヶ根へ向かった訳ですが、そのバスの中のテレビのニューステロップで「昭和天皇御崩御 元号は平成になりました」と 忘れもしない昭和64年(平成元年)1月7日のことでした。バスの中で私ら一同 「ならおいらたちどうなるの?」ですが、あくまでも昭和63年度3次隊。それ以来自称 「幻の63年度3次隊」とか言ってました。
 訓練所に着いてどうも体調が良くない。東京で遊びすぎ?の訳もなく(そんなヒマはない)同室に風邪をひいていた人がいてモロに感染ったみたいで訓練初日に39度近い熱で2日ダウン。たった2日でベストだった62−3kgの体重が58kgまで4ー5kgダウン。痩せることを見込んでウェイトを1−2kg上げようと思っていた矢先だったので先の思いやられる訓練開始となりました。
 私たちの頃駒ヶ根の訓練所は、中国を除くアジア圏、南米、中東の各地域へ派遣予定の候補生が訓練を受けるわけですが、その一日は以下の通り。    

    その頃の平日日課表

6:30 起床
6:45 朝の集い(まぁ朝礼ですな) ロードワーク、国旗掲揚
7:20 当番朝メシ準備
7:40 朝メシ
8:45 午前課業(もっぱら語学、やっぱり語学)
11:40 午前課業終了、昼食
13:00 午後課業開始 (15時までは語学)
17:00 午後課業終了
17:10 国旗降納 
10 17:30 夕食 夕食後入浴
11 19:00 夜の稼業もとい課業
12 21:00 夜の課業終了
13 22:15 入浴終了 
14 22:30 消灯
 平日は9時前から午後3時まで毎日語学、11週間での語学研修時間は中学校の英語の事業時間より多い350時間以上。午後3時から5時までと夜の課業で外部講師の講義や任国事情やら保健衛生講座等。夜間課業がない日もあり、そのときは自習。いっくら自分の生命維持の為に必要と気合いバリバリで講義に臨んでも中には睡魔に負けちゃいそうな時だってあります。
 語学の講師の先生は大部分がその言語のネイティブの外国人でタイ語ならタイ人の先生でした。私ら同期は平均年齢28歳の男性ばかりの野郎4人衆。タイ語クラスは2クラス。どーゆーコトかと言えば生徒2人に先生1人のほとんどマンツーマン授業、居眠りなんてとてもじゃないが出来ません。インドネシアも生徒2人で先生1人でした。フランス語やスペイン語は1クラス8−10人の大所帯。どっちが良いかはケースバイケース。語学修得から言えば私ら少人数の方が有利なのは言うまでのありませんでしたが、沈黙の時間を作らないコトも語学修得と同等以上に苦労しました。何でもええから喋らなあかん状態。5秒以上で事故の放送局みたい。
 いままで、見たことも聞いたこともない言葉や文字を勉強しているので、さぞや大変の様ですがみんな目的意識を持ってやっているので真剣そのもの。いらん事しているヒマなんかどっこにもないっ。加えて語学の最終試験に通らなかったら任国に行けないし、もう一回3ヶ月再訓練。みんな「そんなエラい目まっぴら御免」モードでとにかく必死。人間の適応力っちゅーか目標のあるってコトは、こんなに潜在能力を引き出せるのかと思った訓練中でした。後半になると寝言まで習ってる言葉で言うようになるもんな。

お注射

 でも訓練中に何がイヤかって予防接種ほどイヤなモノはないっ。派遣国は開発途上国ゆえ、伝染病等の予防接種が目白押し。乳幼児の予防接種よりスケジュールがきつい。風邪なんかひいて一回抜けようモノなら後の日程のやりくりに苦労します。地域によって行う接種は異なりますがアジア圏は比較的少ないのですが、それでも、ポリオ、コレラ、狂犬病、A型肝炎はあったハズ。中東やアフリカなどは黄熱病なんかもあります。医療関係者はB型肝炎も。私らじゃないけど、なんでも黄熱病の予防接種で発症した人が居たって話も聞きました。予防接種なんてもの、そりゃ病気の「タネ」を植え付けるんだから中には罹る人もでるわな。しかしA型肝炎のガンマブロブリンの臀部(お尻)に10ccは効いた。コレラも痛い。注射だからどれでも痛いわい。
続く To Be Continue