青年海外協力隊のページ

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What's Japan Overseas Cooperation Volunteers
何を血迷ったのか昭和の末期に突然参加。応募から試験、訓練そして派遣の全貌が今明らかに・・
なったトコロで別にどうしたっちゅうの?的体験談。

1、参加の動機、応募と試験

2、届いた合格通知

3、訓練後半

4、訓練最終段階

5、出発(たびだち)のとき

6、いきなりボられた・・

青年海外協力隊

 ほとんどの人は、この言葉くらい聞いたことがあると思います。
発展途上国のために現地で汗を流して頑張っている日本の青年達。
イメージ的にはアフリカの大地で農業を・・・
私だって参加するまでは、そんなモンだと思っていました。
募集要項を取り寄せてみるとその職種の多さに思わず驚き。
その数130以上

当時協力隊の職種として思いもよらなかった、写真、考古学、
放送や司書なんてのもあって驚きの連続。
派遣国も、アジア、アフリカ、中南米、中近東にオセアニア
当時で50数カ国と言うのにもおどろき。(派遣実績66ヶ国、派遣中59ヶ国)

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参加の動機

私の持つ技術を発展途上国のために役立てよう!
といった崇高な理念のモトに参加したいのならひとサマは、ほめてくれるでしょうが
私の場合半分くらいは、この理念が後押ししていましたが動機そのものは、至って
単純かつ不純
1.ケニヤへ行きたい。
元祖、”この木なんの木”のCMソング、某電機メーカー提供 ”野生の王国
と言う動物ドキュメントの番組あの番組のアフリカの地平線に沈むでっかい太陽がトラウマとなり幼いときからの夢が、あのでっかい夕日が見たい。
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2.サファリラリーが見たい。

無類の車好き。アフリカの荒野を砂煙を上げて走るラリー車。後ろにはキリマンジャロの万年雪。
そんな雑誌に出てくる風景をこの目で見たい。

3.海外亡命
応募当時29才。両親から ええかげん結婚せいっ!
っちゅうプレッシャー。
本人に気がないので”せいっ”って言われてもムリだわな。
何とかそのプレッシャーから 逃れるための
海外亡命が、最大の理由でございました。
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まとめ

ある協力隊事務局幹部の人のお言葉。

正義感や使命感に燃えて応募する隊員より肩肘張らずに
むしろ不純な動機で受けてきた隊員の方が任地でいい活動してきた場合が多い。

そうです。  
世の中そんなモンかも・・・

応募

行きたい国があるからって無条件で行かせてもらえるワケがなく、まず応募するには、自分が専門とする、
または、得意な職種を選ばなくてはなりません。
私の場合、当然農業分野で一般作物、特に稲作でしたが、この職種でケニヤは、ありません。
もっとも、ケニヤに稲作の要請があっても本業のコレで満足な活動が出来なかったら、
今までの自信がガラガラと音を立てて足下から崩れていく・・・
これでは、後々ちょっと困るので、その次に得意な農業機械にしておこうと。
ここで、逃げ道を作るこのコソクさが、私ですわ
ちょうどケニヤに2つもあり、そのうちの一つがビクトリア湖のほとりの
キスムという都市の職業訓練校がありました。
キスムといえば、当時のサファリのメジャーサービスポイントになっている所じゃないですか。
ここに決まり。
あと、ケニヤがダメな場合でもフィリピンの大学からの要請で、
籾の乾燥調整技術の指導っちゅうのもありまして、これもピッタリやんか!
ここでもしっかり逃げ道を確保。
で、受験職種は、農業機械に決定。
結局、なんだかんだ言ってもこっちの方が自信があったからに決まってる。

技術試験

技術試験は、筆記の一次試験が各都道府県で、
二次の面接と職種によっては実技(主にスポーツ)が当時は東京の事務局で行われます。
私の場合一時の筆記さえ通れば、二次の面接なんぞ、クチで何とでもなるわい
って気持ちでおりましたので筆記は、それなりに頑張りはしました。
なにせ、私は、工学系は一切学問として学んでないんです。
車いじりと、今までの農機整備の経験のみ。
こんな調子で受けたんだから、ある意味無謀だわな。
実際問題として派遣後の活動には、経験に裏付けられた技術、
つまり応用力と適応性が無いとかなりキツいのが実際のハナシ。

技術だけは、しっかり身につけておきましょう。
こいつだけは、現地に行ってから何とかなるモノでは、ありません。
あとは、人事を尽くし天命を待つで、一時の結果待ち。
当然合格だわな。あとは、二次の面接にいざ東京へ。
後で聞いた話ですが、一次に合格した時点でだいたいの派遣先が決定されているようです。
しかし、途上国で、2年間活動するワケで、技術よりも何よりも
まず身体が資本、健康状態が一番大切です。
現在、健康診断が一次試験の項目になったために
最近、技術的に不合格になる受験者より健康診断の結果で不合格になる場合が多いそうで
一にも二にもまず健康が一番大切です。

二次面接

 一次の技術試験を無事合格しますと合格通知とともに二次面接の日程の連絡が来ます。
職種によって受験日が当然違うわけで指定された日に指定された場所に出向いて試験を受けます。
この面接、技術的なコトを聞かれるより、人間を見るための(当たり前か?)面接で、私たちの時は具体的に言うと
「あなたは一次は受かりました。」
「さてどこへ行きたいですか?その国、その任地を希望する理由は?」
「そのほかには?」
「派遣先がそこと違っても行きますか?」

まぁ平たく言えば、
「どこの任地になってもホンマに行く気ありますか?」

っちゅ具合に、参加の意志の確認のような感じでした。(あくまで私の場合です。各自で質問内容が違うのは、当然。)
一応、希望は重視します。とありますが、事務局が隊員の任地を決定するに当たって本人の希望より要請にあった隊員を派遣するコトを重視しているようです。派遣先の決定は、それまでの職歴や経験で検討され、例えば、Aと言う国のBと言う任地を希望していても、その人の経験や職歴が技術的に高い場合、希望する任地より高いレベルを要するC国のDと言う任地の要請に適していると判断されれば、後者に派遣されます。また、逆も真なりで希望する任地の要請に自分の技術が達していない場合も事務局としては、希望を叶えてくれないでしょう。
私の場合、面接の時にはっきりと
「希望の任地は、ケニヤのキスム。前職等の経験からピッタリです。第二希望もフィリピンの大学のあそこでも最適。」
と自分をしっかり売り込んできました。最後に
「ケニヤでなくても行くか?」と訊かれて積極性のアピールに
「はい、どこだって。」と答えて来ちゃいました。
二次面接も終わってこれで、私はケニヤに行けると信じて疑わず
派遣国ケニヤと書かれた合格通知を一日千秋の思いで待っておりました。
つづく To be continue