青年海外協力隊

5、出発(たびだち)のとき その前に歯医者さん。

 詰め物の取れた虫歯、帰宅してソッコーで歯医者さんへ言ったら「神経抜いてないわ」って言われたものでさぁ大変。「一週間で何とかして!」もらわないとえらいこと。結果から言えば何とかなって間に合ったけど、協力隊志願者の方、合格して訓練前の方で虫歯がある人は訓練前に「絶対歯医者さんへ行って直しておきましょう」(訓練中になっちまったら仕方ないけど。)
 平成元年4月1日出発予定の私たちは、箱崎のTCATへ集合。この日が何の日かと言えば「消費税が施行された日」なのでありました。消費税を取られるコト無く私たちは異国の地に就こうとするのでした。この日は、タイの他にもスリランカ、モルジブの隊員と一緒だったのを覚えています。2年後(この時は)無事に生きて帰ってくることを誓い合ったものでした。大げさな様ですがこれくらいのつもりで行かないと2年の任期を全う出来んと思った。イヤになれば任期短縮でいつでも帰って来れますが、そんな根性ナシではナサケないしやっぱ健康で五体満足で帰国したいやん。
 で、初めて乗る飛行機、事務局が用意してくださったのはビジネスクラス。今は世間からの突っ込みが厳しいのでエコノミーらしいですが、送り出す方としては、「税金の無駄遣いやん」なんておっしゃらず、「これから2年、どんなコトがあるかわからんのやで、せめて現地に着くまでは良ぇ目させといたろ。」的発想。訓練所のメシ然り、飛行機然りです。 
 大多数の隊員が何処の国に着任するのか分からない状況で、誰に強要されることなく、自分の意志で志願し、決してアマくない訓練をやり遂げ、これから2年間はっきり言って見知らぬ職場で「命張る」訳ですから、事務局(しいては外務省)の親心も行かせて貰う立場の私らにはわかりますしそれくらいして貰ってもバチは当たらんと思う。そこいらの地方議員の人らが海外研修とか海外視察とか行く方がよっぽど税金の無駄遣いでしょうに。
  その当時国際線の飛行機すら乗ったことがないので、良いも悪いもエコノミーとくらべようがない。
 機内では朝が早かったので機内食以外は「ひたすら爆睡モード」だったのでよけいにわからん。
 寝るだけ寝てバンコク到着が夕方前。飛行機からおりたらいきなり「むーぅーっ」と言うに言われぬ熱気。「熱っつー」がタイ上陸第一声。そらそやろ4月のタイって言えば一番熱い季節。日本との気温差20度以上。現地事務所の調整員の方が迎えに来てくれているのでイミグレ終えて荷物取って市内へ。今は高速の高架で見えないけどラップラオ辺りにあるTOSHIBAの温度計看板が午後7時回っているのに「32℃」だったのを今も覚えてます。思ったのが「今で32℃なら昼間は何度になるんや??」ってこと。「こら、そーとー熱いな、」と。
 クルマで市内まで約2−30分。周りを走っている車が想像以上に新しい。日本の現行型も走っとる。「この国ってここだけ見てるとホンマに協力隊要るんかしらん?」と感じたものでした。(今やで言えるけどはっきり言って要った。今も要るやろ)当座の宿は事務所(2003年夏に駆け込み乱入のあった大使館の隣)の近く(アソックですわ)の今はなき某ゲストハウス看板にはビジネスハウスと書いてある。し室内にも日本語の注意書きがあった。学生の下宿並の部屋にエアコンが付いていて当時一泊600バーツ(当時1バーツ5円)部屋の割りに高いと思った。まぁ、冷房あって近くにコンビニあるし事務所まで徒歩5分以内だし。まぁ困ることはない。コトバを除けばね。
 余談、このゲストハウスの看板にタイ語で「タイ人半額」って書いてあるのを一番語学の達者なキリギリスさんが発見。確かに言われてみると私らにも読める。ちなみにこのゲストハウス私らが任期中になくなった。
  着任した1日が土曜日だったため翌日は必然的にいきなり休み。なんかめっちゃトクした気分。やっとの思いで念願のタイに到着した安堵感からの疲れで夕食をすますとソッコーで寝たタイの初夜でした。タイで目覚める初めての朝。「さわやか」なワケがない。バンコクの真ん中だから「やかましぃー&熱っつい」が第一印象。さて、いきなりの休日「何をする」となれば市内散策(一応市内の地図は貰っている)っちゅーか買い物。まず詳しい地図が欲しい。身の回りの日用品その他諸々。で日本人ならまず「ぞごう」
 バスで行けるはずもなく、っちゅーか「バスで動けるようにバス路線図を買いに行く」んだからバスに乗れるわけがない。地理的理解も出来ていないんだから。分かるのがスタート地点の「今いるここと見える範囲」なんですから。で、交通手段の基本は、体で覚えること、すなわち「徒歩」、歩いて土地勘、距離感を体に覚え込ますんだぁ。(単にタクシーと交渉をする根性がなかっただけというウワサも・・・)
 こうして私たちのタイでの本格的な活動が今まさに始まろうとしているときに、(それも一番暑い4月の日中に)初っ端からこんな試練が待ち受けていようとは誰が予想出来たでしょう。
続く To Be Continue